いま、心に何を持っているのかな

こんにちは、さかいみる です♪

温かい飲み物を飲んだ時に、口の中から喉を通って胃まで温かく滑ってゆく感じが大好きです♪ 生きてるんだなぁと楽しくなります。

さて、
「与えたものを受け取れる。」というような感じでいわれていることについて、そのままぼんやりと「与えたものを受け取る。」という風に思っていたのですが、ある日、そうじゃなかった…というか、なぜそうなのかということに気づいたのです。

もしかしたらみんなは知っていて私だけぼんやり思っていただけかもしれないのですが…。

つまり、自分が持っているものだけをあげることができる。持っていないものはあげることができない。

りんごを持っているからりんごをあげることができる。というように、それはものだけではなくて、気持ちやエネルギーもそうで、例えば純粋に祝福を贈るとき、その「祝福する」ことにすでに「自分も祝福されている」が内包されているということ。「自分の中にも祝福(されていること)があるから、それを渡す(贈る)ことができる。」というものすごくシンプルなことなんだと心の奥から気がついて、とてもうれしくなったのです。

そうか…「ハッピーを贈ってハッピーを受け取ろうキャンペーン☆」のようなものではないんだ。と、ほっとしたのです。

そして祝福のような目に見えないものと、りんごのような目に見える物のちがうところは、例えばりんごだと1個あげたら1個なくなるのだけれど、祝福はたくさんあげてもなくならないというところです。つきることのない祝福の泉は私たちの こころ そのものだと感じます。

目に見えないものは自分の中にあるということに気づきにくいのですが、贈った時点でもうすでに持っていることを示唆しているんだなぁと思ったのです。
贈ったものは、もうすでに贈られている。「与えることができているものは(もうすでに)受け取っている」ということなのだと。

そして、これは必ずしも誰かから自分に贈られている必要はなくて、自分で自分に贈ることができるということころが いいな♪ と、感じます。そして心を開いてそれを受け取ることもできる。というところも。

なので、相手になにを渡しているか。ということで、今自分はなにを持っているのかがわかる。ということなのだと思うのです。

「それを持っていることにする。」のではなくて、それを持っていることに気づける。ということなのだと。そしてここでまたまた投影劇場シリーズに書いていますように「全力で正直にみる」というのがポイントになるんだと思います。

今、自分の心に何を持っているのかがわからなくなってしまったとき、誰に何をこころの泉から贈っているかなと、みてみることオススメです♪

ではみなさま、色鮮やかな夏のはじまりをお過ごしください。


*投影劇場シリーズはこちらから。
*心についてはこちらから。
*2018年ネパール滞在記全20話はこちらから。
*2017年ネパール滞在記全24話はこちらから。

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