こんにちは。さかいみる です♪
みなさまお変わりありませんか?
私たちは元気です!
先日から何度も書いています「湖畔の村のメチャくん」…♪
3部作で、
1巻「湖畔の村のメチャくん」
2巻「もしもしの森」
3巻「いのちの樹」
です。
1巻のお話は全30話書きあげていて、2巻と3巻も少しずつ書き進めています。
1巻を読み返し、自分で面白いなぁとニコニコし、2巻のお話を読み返し自分で感動して泣いて、3巻のお話になると、いったい誰がこのお話についてきてくれるんだろう…。という趣になってきました☆ 絵本を深く掘りさげた(掘りさげすぎ)ディープな湖畔の村ワールドへようこそ…☆彡
ひとことで言うと「大人のためのスピリチュアルファンタジー」という感じかな♪
と、そんな日々の中、友人の高崎真理子と電話で話をしていました。「いのちがあるから思考があって体が動くということが体感してわかった!」ということでした。
そうなんです。
私の命ではなくて、わたし が いのち。
いのち(純粋な意識)の中に現れる小さな一側面として思考が現れ去ってゆく。その思考を自分だと思ってしまったとき、ぎゅうっと苦しくなってしまう。
以前のブログでも書きましたが、大きな宇宙より小さな個我の方がなんでも上手にできるんだっ!と、いっぱいいっぱいになっていることに気づくと、健気だなと思うと同時にゆかいになって笑ってしまいます。そして、気づいている方が自分だと体感すると本当に自由になれます。
心というスペースに何も置かないことで、思考の解釈と感情を強く結びつけることもなくなるから、例えば悲しみが訪れたとしても悲しみは悲しみとしてそこにあっても、心が迷子にならなくてすむようなのです。
そして、個我は対象そのものよりも対象に向けられる恐れや期待の方により強く結びつくような気がします。なので、例えば ”欲しいもの” が手に入って幸せを感じるのは、よく観察してみると「欲しいものが手に入ったから」というよりは、「欲しいという気持ちがなくなったから」幸せを感じる。という方がしっくりくるような気がします。
心というスペースに何も置かない状態というのが(状態じゃないけど)、もともとそうである平和や自由や喜びの場が覆われていない状態なんだと感じるのです。
何か苦しくなったときは、思考を自分と思ってないかな、心に何か置いてないかな、ということを思い出していただけると ふっと自由が顔を見せてくれるかもしれません。
その他にも、気づきにくい対象、持続する対象、くっつきやすい対象、などがありますが、長くなるのでまたの機会に…。
などなど、「湖畔の村のメチャくん3部作」の中でも徐々に、やわらかく やわらかく お話のところどころに織りこまれながら語られてゆきます。お楽しみに♪
では、みなさま穏やかな良い日々になりますように。
*心についてはこちらから。
*投影劇場シリーズはこちらから。
*2018年ネパール滞在記全20話はこちらから。
*2017年ネパール滞在記全24話はこちらから。
みるさん こんにちは!
暖かくなったり、寒くなったりの繰り返しですがお元気ですか?
湖畔の村のメチャくん三部作 めっちゃ楽しみです
みるさんのディープな世界はとっても私好みで、私が言葉で表せないことをうまく表現してくださっているので心にすーっと沁みてきます
早く読みたいなあ♪
読める日を楽しみにしています!
季節の変わり目ですのでお体に気をつけてご自愛くださいね^_^
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まっちゃん、こんにちは♪
元気にしています〜*^_^*
まっちゃんが、三巻までついてきてくれるっ!う、うれしい!
いまちょうどモノクロの挿絵を描いてたところだよ♪
今年の春から初夏にかけて第一巻を出して、それから1年に1冊のペースで出したいなぁ〜と思ってます。
ワクワク ドキドキ☆
お互いひきつづき元気で過ごそうね*^_^*
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