なにもかもを失ってはいないよ

こんにちは、さかいみる です。
みなさまお変わりありませんか?
私たちは元気です♪

お料理するときに、まな板の上に並ぶ色とりどりの野菜たち…。美しくて毎日本当にうっとり みとれてしまいます。美しくて おいしくて栄養があって…。すごいなぁ野菜。

透明感のある お茶のすい色、コーヒーをいれるときの香りに、小さな泡にできる小さな虹…。
鳥たちの声に、お散歩のときに目にする植物、景色、空と雲…。

いつもの風景、いつも見ているもの、親しみ深くありながら毎日新鮮で真新しく感じます。書きだすときりがないくらい美しいものがあって、日々ほとんどの時間をうっとりとして暮らしているのです♪

もうすぐ大好きな水田の季節…。ますますお散歩が長くなりそうです♪

昨晩、3月からロックダウンが続いているネパールの友人の一人とチャットをしていました。彼女は今事情があって、ひとりで暮らしています。ネパールで ひとりで暮らすというのは、ほぼない。ことです。

そんな彼女が会話の途中で、
「なにもかもを失ってしまった。」
と、ふいに言葉をこぼしました。

彼女のことを「可哀想な人」にしないように気をつけながら少し会話をした後、

自然に
「あなたは、なにもかもを失ってはいないよ。」

と、言葉が出てきました。すると、彼女は、

「うん、なにもかもを失っていない。」
と、はっきりと言いました。

そのとき、そうだ、私たちは本当の意味では、なにも失うことはできないんだ。と感じました。というのは、誰も何も 深いところでは もともと「私の」ではないから。です。
ただ、つなぎ目のない動きの流れがあって、その動きの一部分を切りとって、「私のもの」「私は失った。」という深く刻み込まれた概念をぎゅうっと貼りつけているだけなんだな、と感じたのです。

表層にある日常の暮らしの中のことではなくて、その奥の深層の、表層とは切り離せないそこでは、何ひとつ「私の」ではないと同時に、全てが「わたし」でもあるんだなぁと、しみじみ感じます。

かといって、表層に浮かびあがってきた痛みや悲しみ、苦しみを ないことにするということでは もちろんありません。それは以前書きました心の深みに潜る機会でもあると思うからです。

そして、表層にある ささやかで楽しい暮らしの中では、「私のところにやってきた素敵なガスコンロ♪」と、心から喜ぶこともできるのです♪ この話はまた今度…。

ではみなさま美しい6月を。

絵本deえがお美術館は6月もお休みします。

*投影劇場シリーズはこちらから。
*心についてはこちらから。
*2018年ネパール滞在記全20話はこちらから。
*2017年ネパール滞在記全24話はこちらから。

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