投影劇場Vol.03 心がちょっと軽やかになるレシピ♪

こんにちは、さかいみるです。
毎年3月11日は私もみなさまと同じように胸のきしみと、絵本deえがおの活動を続けてこれていることへの感謝と、いろんな思いが混ざって過ごします。

さて、今日は前回のブログ「みつからないをみつける」の続きを文章にしてみたいと思います。
「投影劇場」に書いていた「のびのびした空間」「なつかしいおうち」についても最後の方でほんの少しだけ触れています。そしてフェイスブックでコメントをいただいていた「消えてしまうことに恐れをいだくのは生命体の本能なのか…」の部分も私なりに一番最後に ☆銀河鉄道コーナー☆ として、紐解いてみました。
ぴーっ発車〜〜☆ ガタゴト♪(電車に詳しいわけではありません☆)

さて、「個我と超自我との関係性」を書き始める前に、心理学的な超自我のことを書いてゆくのではなく、私が感じている「超自我」と呼ばれている存在について書いてゆきますので、「自我」を「個我」としたように、ここでも「超自我」を「超個我」として書き進めてみようと思います。

私の中にある超個我のイメージは「実体がないのに、いばっている。」です。「なんかエラソー」な感じ☆
そして、この超個我、まわりの人にいばっているのではなくて、どうやら個我に対していばっているようなのです。

例えば、何かが、超個我が思っている「良い」通りにならなかったとします。
すると、超個我は個我に対して、
「君はいつも私の期待に応えられないね。ん?」みたいに、個我を否定したり、責めたり、プレッシャーをかけたりしたとします。場合によっては、ちょっと雰囲気の違う超個我が、同じように、思っている通りにならなかったとして、
「あなたのためを思えばこそなのに…。」みたいな感じで罪悪感を感じずにはいられないようなことを言ったとします。
そうすると、個我はびっくりして自分を守ろうとしますし、その後では多くの場合、自信をなくしたり落ち込んだり、罪悪感を感じたり、もっと頑張らなくちゃ…。となったりするのではないかと思うのです。

そして、超個我の言うことを個我が完全に信じているとしたら、そしてもし完全に「個我=自分」になっているとしたら…。そっくりそのままそれは自分のことになってしまいます。超個我の否定を個我が信じ、個我が個我自身を否定する。「自分はダメダメ」みたいに。
そいうことが「気づかれていないけれど、それは深いところにいつもある」という状態でいるとしたら、馴染み深いいつもの自分は、いつもなんとなくその「自分で自分を否定」するという「揺らぎ」のようなものを気づかないところで持っていることになる…。

そうすると…そうです。お察しの通り、次に投影劇場の幕が上がるのです…。でも、投影劇が始まっても、それに気づくと投影劇はすぐ幕を閉じてしまいます。「投影劇に気づく」「幕を閉じる」と、書くと、なんだかちょっと冷たい感じになるのかな、シニカルな感じになるのかな、またはすごい我慢しなくちゃいけないのかな、と思われそうですが、前回も書きましたが全くそうではありません。かといって急にハッピーになるというわけでもありません。
「ただ、シンプルにありのままを見ることができる。」ようになるということだと思うのです。

そして、その「ありのままにみる」ことがゴールではなく、それがスタートであり、土台になります。ありのままにみて、そして、その土台から何をするのか、どんなことを言うのか、ということが生まれてくると思うのです。

さて、じゃぁどうして超個我が形成されたのかなと思うのですが、正直に言うとよくわかりません。
個我と超個我をきっぱりと分離するのは難しいような気がするのです。そして個我が形成された後から超個我が作られたように思うのです。一般的には「幼少期の周りの権威者のイメージの代理(意識界での☆)」のようになっているかなと思うのですが、私はなんだか、個我自身が超個我を必要として生み出したような気がします。

なぜそう思うかといいますと、前回の「みつからないをみつける」に書きましたように、個我はうすうすと「自分は幻想かもしれない…。」という風に感じているとします。なので実体であるようにそれを維持していくために、すごくたくさんのエネルギーを使っていると推測できます。そして、そのいつもある「不安」は「なんか足りない感」「居てもいいのかな感」「分離感」として、つきまとっていると思うのです。
そして、それらを払いのけてくれるんじゃないか、守ってくれるんじゃないか、という期待を込めて、自分より強めの「超個我」を生み出してしまったのではないかなと思ったのです。

でも、生み出した土台が「愛」からではなく「恐れ」からだったために、さらに「恐れ」が深みを増してしまった。ということなのかなと思います。

じゃぁ、この個我とか超個我とかどうしよう。と、なったとき、それらに気づいている存在があります。それが自分です。そしてそれら全部に気づいていることにも気づいているのが本当の自分です。説明をしてゆく段階があるために、文章にすると「なんか、いっぱい自分がいる☆」みたいになってしまいますが、ひとつです。源はひとつです。(文章にするのがもういっぱいいっぱい☆)

なので今の時点で、
「心がちょっと軽やかになるレシピ♪」として、じゃかじゃん♪

個我を自分だと感じたら、前回の「みつからないをみつける」に書いたように、あせらないでゆっくり少しずつほどいていって、その実体がみつからないことをみつける。
または「投影劇場」で書いたように、
心のざわめきを感じたとき、正直にまっすぐ深くこころの海に潜ってゆく。
例えとして書いたように、ぴかぴか光り輝く心の玉に貼られた薄紙をはがす。
もし「投影劇」が始まってしまっても、始まったことに気づくと投影劇はすぐ幕を閉じてしまう。ことを思い出す。
そして、それら全部に気づいていることに気づいているのが本当の自分だと気づく。
と、いう感じでしょうか。なんだか地味ですね…。

「投影劇場シリーズ」に絡めて文章にできることをレシピとしてまとめてみました。もしこのレシピが気にいりましたら、心がわざわしたとき、重くなったとき、試してみてください♪ ちょっと軽やかになってもらえたらいいなぁと思います。
まだ他にいくつもレシピがあるのですが、それらにはそれらの説明があった方がいいと思いますので、また今度書いてみたいと思います。

「いきいきとした優しいからっぽ」
「とても素朴で優しいくつろいだ、のびのびした空間」
「なつかしい居心地がいいおうちにいるような」
「こころという大海」
「気づいていることに気づいている存在」そして
「本当の自分」「源」「本質」というのは全部同じだと感じています。

そしてそれは…今の段階では、とてもまとまった文章にできません☆
少しずつ日々のブログの中にエッセンスとして埋め込んでゆきたいと思っていますので、みつけていただけると幸いです♪
トロッコ列車でのんびり景色を眺めながらガタゴト旅する感じでね♪

そして、そんな心と身体と五感の旅をまるっと詰め込んだ2018年のネパール滞在記、読んでみたいなと思われる方はこちらからどうぞ

☆銀河鉄道コーナー☆
さて、いただきましたコメントの
「消えてしまうことに恐れをいだくのは生命体の本能なのか…」
の部分ですが、コメント欄には書ききれないので、こちらにそれを紐解いて、感じたことを書いてみますと、
「(幻想の) 個我が「消えちゃう」と恐れる想念」を信じているということなのかもしれません。
どういうことかといいますと、身体と同一化していると、身体が機能しなくなる、終わる=自分がなくなる。という風に信じてしまいます。身体はみないつかは役目を終え、機能しなくなってしまいますが、本質はなくなりませんね。

つまり、コメントでいただいたように、身体に同一化している自分が、幻想である個我の持つ「生命体 (感覚等含む身体) の本能 (未知のものを恐れる) という幻想。」を、信じる。ということなのではないかと思うのです。

「恐れ」という存在も、「恐れを恐れているときがいちばんコワイ」つまり、「未知なるもの、未知の状態 (消える) を恐れる」という機能が有効になっているためにこういう感じになってしまうのではないかと思うのです。
でも「恐れ」をよく観察してみると (コワイけど)「恐れ」の、感覚のような、エネルギーのようなものはありますが、「恐れている存在」をみつけることはできません。今度、心の中になにか「恐れ」が現れたたときに試してみてください。「恐れ」に気づいている存在がいるだけです。

お腹を空かせたトラが走ってきて「いっただっきまーす☆」って飛びかかってきたりしたとき「恐れているものはいないのだ」と言って、その場に仁王立ちしてトラを待ち受ける。というような意味ではありません。もちろん。そんなときはすぐ逃げてください。
繰り返しますが、心の中の心による「恐れ」の話です。

簡単にではありますが(えっ長い!?)、私の感じることに重ね合わせて紐解いてみました♪


*投影劇場シリーズはこちらから。
*心についてはこちらから。
*2018年ネパール滞在記全20話はこちらから
*2017年ネパール滞在記全24話はこちらから

投影劇場Vol.03 心がちょっと軽やかになるレシピ♪」への7件のフィードバック

  1. はじめまして、みるさん。

    めちゃくん絵本、娘と一緒に楽しませてもらっています。

    みるさんのブログ、投影劇場シリーズ、本当にそうだなあと、何度も何度も読ませてもらっています。そして、みるさんの心が軽くなるレシピに、かたくなになった心が柔らかくほぐされまさした。ありがとうございます。

    みるさんの文章は、優しくて、でも冷静で、そしてどこまでも透き通っていて、、、あるがままを見つめてそこから言葉を発するってこういう事なんだなあって、はじめて感じています。そして、そこから表現されたものが、人の心を動かすんだなあと。

    もう少しみるさんにお聞きしたいなあと思ったことを、質問させてください。

    不安な個我を、超自我に守って来てもらっているうちに、すっかり超自我が大きくなってしまって、、、自分の心に素直に潜ろうとすると、超自我が邪魔します。自分の心に素直にもぐる感じ、もう少し教えて欲しいです。

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    1. はじめまして、麻里さん。

      コメントをありがとうございます。
      そして、娘さんといっしょにメチャくん絵本を楽しんでいただいていること、とてもうれしいです!
      ブログも読んでいただいて、心が軽くなるレシピも試していただいているのをお聞きして、しみじみ書いてよかったなぁと思っています。

      さて、自分の心に素直にもぐる感じについて少し説明してみますと、
      例えば、何か感情が起こったとします。「怒り」だったり「恐れ」だったり。そのときに、それに気づいた時点ですぐにその感情に気づいている側になってよくみてみるんです。(慣れるまではちょっと難しいかもしれませんが、練習でコツをつかむことができます。)

      そしてそれらをみてゆくときに、全力で正直になるんです。意外とこれ(自分に対して正直になる)が難しいかもしれません。そこにどんな想いがみえても、受けとめてゆくんです。すると次々に今まで気づかなかった感情や想いや信念のようなものが現れてきます。ときには意外なものやびっくりするようなものも。

      ただここで、自分がずっと編みあげてきた自分のイメージに合わせた正直さになってしまうと、深く深くまっすぐにもぐってゆくことが難しくなります。なので最初は、ゆっくりと丁寧に、でも全力で正直に、現れたこの感情の奥にあるものを探ってゆくというのがいいかもしれません。ささっと済ませてしまわないように、焦らず少しずつ少しずつ。

      途中で超自我が何か言ってきたときは、それに気づいている側になって超自我をみつめてみてください。たいてい、黙ります☆

      実は、「心の深み」のようなものを簡単に図にしたものがありますので、近いうちにブログに載せようと思います。その方がわかりやすいかもしれません。

      心軽やかな5月のはじまりになりますように♪

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      1. みるさん、ご丁寧なお返事をありがとうございます!

        本当に、みるさんの言葉は、
        心にすっと入ってきます。
        そして、心がすっと軽くなります。

        みるさんは、丁寧に、愛をもって、自分に寄り添って、心の旅をされてきているんですね。
        体験から出た言葉が、
        心に響きます。

        自分の気持ちに正直に、、、
        これまで散々ごまかしたり、なかったことにしてきているので、なかなか難しいですね。
        そして、自分の編み上げてきたイメージに合わせた正直さ!
        絶妙な表現です。
        引っかかりそうです。
        気をつけてみます!

        超自我も「気がつく」がポイントですね。やってみます!

        最近、なんだか根拠の無い恐怖感があったのですが、
        みるさんの文章を読んでいて、
        敵がいるわけじゃないなって、
        なんだか安心しました。

        安心しながら、自分の心に向き合ってみます。

        心の深み、、、みるさんのブログ、楽しみにしています。

        ありがとうございました!

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      2. 麻里さん

        大丈夫、敵はいません。
        根拠のない恐怖感は個我のものであって麻里さんのものではありません。

        長い習慣があるのでつい自分のイメージにあわせた正直さになってしまうこと、あると思います。

        ほんのちょっとした違和感を感じたときでも気づいたら流してしまわないようにして「それはほんとにほんと?」と自分に尋ねてみるのもいいかもしれません。ね♪

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  2. みるさん、ニロくんが、お茶を頂いた気持ちです。
    みるさんの優しくて美しい絵と言葉で描いてくださった心の地図、宝物のように感じます。

    自分に向き合うって決めて、自分によりそって、何かあると「ねえ、ねえどうしたの?」って聞いてきたつもりが、やっぱり親身になりきれていなくて、適当にして、肝心なところを見て見ぬ振りもしてしまってきて…それがあるきっかけで、すごく大きな底の方の存在感を感じた途端に、急に、怖くて、寂しいという重い気持ちと罪悪感などがやってきて、感情と心がすっかりくっついてしまいました。

    隙間がなくなって、自分がすっかり感情や感覚になって迷子になってしまったところに、みるさんの言葉が染み込んでいます。

    この恐怖感も寂しさも個我のもの、
    ぎゅうっと固かった心が緩みます。

    心の海に潜るのは、ひとりひとりだけど、ここにきれいな泉があるよって分かち合うことができる、、、
    なんだか涙がでます。

    まずは、感情を離れて感じれるまで
    スキップしてゆとりを作って、
    素直に正直に心の海に潜ってみます。

    みるさん、本当にありがとうございます。

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    1. マイペースですがまた投影劇場シリーズも、心がちょっと軽やかになるレシピも、気づいたことをブログに書いてゆきますね。

      それぞれの人の「心の地図の書き方」もいつかまとめられたらいいなぁと思っています。

      麻里さん、いつもブログを読んでいただいてありがとうございます。

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      1. みるさん、本当にありがとう!

        自分あてのラブレター、
        ちょっと自信がないけど、
        書いてみます。

        心をひなたぼっこさせる、
        本当にそうですね🎶
        みるさんの表現に、
        また元気をもらいました!

        ステキな週末を🎶

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