投影劇場Vol.02 みつからないをみつける

こんにちは、さかいみる です♪

先日のブログ「投影劇場」に書いていた、
自分で自分を否定していることを「なぜ気づきたくないのかはまた今度…。」
という文章にリクエストをいただきましたので、じゃじゃん♪
「リクエストを文章にすることにトライしてみたよコーナー☆」

気づきたくない。
と言いますのは、無意識の中にあるその場所はとても、「個人的な私」自我とかエゴとか呼ばれている存在にとって絶妙なぬくぬくした良い隠れ家になっていることが多いからなのではないかと思うのです。

なので、「投影劇場」での例のように「自分で自分を否定している」ことに気づくには、その自我の隠れ家まで行ってその扉を開けてみなくてはいけないから。なんじゃないかなと思うのです。
自我と書くと=良くないもの。みたいなイメージがあるかもしれないので、ここでは「私が思う自我」として「個我」と書き進めてみようと思います。

そもそも個我というのは、ものすごく実体があるように感じてしまうのですが、びっくりするくらい幻想です。何か特別なことをしなくても、ただゆっくりとほどいてゆくと、個我としての実体は何も見つけられないのです。

それはまるで、色とりどりのたくさんの糸がきつくきつく編みこまれていって、ひとつの人格を持つ人間のような形を作っている感じだなぁと思うのです。
その糸というのが、一本ずつ「思い込み」だったり、「信念」「記憶」「願望」「恐れ」などなど、本当にたくさんの糸が複雑に絡み合いながら、ぎゅうぎゅうと編まれているようです。でも、その糸をゆっくりほどいてゆくと、だんだん網目が緩くなっていって最後にはパラパラとほどけて色とりどりの糸だけになっている。その中には何も実体がなかったんだ。びっくり。という風に感じるのです。

そして、なぜ気づきたくないかというと、「気づきたくない=気づかれたくない(この時点では個我=自分)の状態、またはその割合が高いので」
その無意識という中の秘密の隠れ家にいる間は個我は安心していられます。そしてなぜ気づかれないと安心かというと、個我自身も「私、本当に実体あるのかしら…。」みたいな、実は自分は幻想かもしれないということにうすうす気づいているようなのです。
なので、幻想は信じている間は現実のようにあるけれど、幻想をこれは幻想だと気づいた時、その幻想は幻想としても実体としてもいられなくなってしまうからなんじゃないかと思います。

個我が「消えちゃう….。」って思っているのです。でも、そういう意味では消えることはありません。というのは、もともとなかったものだからです。もともとそれは色とりどりの糸なだけだったのです。
でも、それが本当にあるかのように、そしてそれを自分だと思ってしまうというのは、個我自体があるとかないとかよりも、「個我を信じる」「個我の存在を信じる」または「個我を完全に自分だと思う」となると、幻想の個我に力を与えてしまう。ということなのではないかと思うのです。

そしてどうしても「信じているものを信じる。」という信念、そして、「信じているものはその人にとっての現実。」という機能があるからではないかなと思うのです。

そして、どうして信じてしまうのかというと、ずっとずっと培われてきた信念だったり、小さい頃からの習慣だったり、いろいろな理由があると思うのですが、やはり、ただ、ずっと自分で編みあげてきたそれに愛着があるのだろうと感じます。

なので、ゆっくりゆっくり少しずつほどいていって、その実体がみつからないことをみつける。のがいいかなと思います。焦らないで。または「投影劇場」で書いたように、心のざわめきを感じたとき、正直にまっすぐ深くこころの海に潜ってゆくのもいいのではないかと思います。

そして、じゃぁ個我が幻想であって自分でなければ、自分はいったいどこに?ということになってきます。でもその前に、個我と、超自我と呼ばれている存在の関係性に触れた方がいいような気がします。

と、簡単に書いてみましたが、実際はこのお題目で100ページいけます☆ くらいの多様さがありますが、今、文章にできる分として書いてみました。

私は絵本を描く仕事をしていますので、文章に綴っていっていることは、あっているとか、間違っているとか、そういうことは全くわかりません。ただ私が体験して感じたことなので、人によってさまざまだと思います。行き着くところは同じでも、いろんなそれぞれの道をそれぞれの好きなペースで歩むのがいいなぁと思います。

私が思う個我と、超自我と呼ばれている存在の関係性は次回に。

では、みなさま素敵な週末をお過ごしください♪


*投影劇場シリーズはこちらから。
*心についてはこちらから。
*2018年ネパール滞在記全20話はこちらから
*2017年ネパール滞在記全24話はこちらから

投影劇場Vol.02 みつからないをみつける」に2件のコメントがあります

  1. おかげさまでひとつ思い出したことがあります。シュタイナーという人が、霊的に成長するために訓練しようと努力している人々に対しての助言です。初心者は、高次の自分を自分の中に探し求めても低い次元で自己満足に終わるようなとんでもないものを高次の自分だと勘違いする危険がある、最初はひたすら自分の外に、自分が一生懸命助けている人の笑顔の中に、自分の高次の自我を見出しなさい、というかんじのものです。ありがとうございました。どこに書いてあったかは思い出せません。

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    1. コメントありがとうございます!
      はい、私は自分の体験からしかわからないのですが、あるとき、内側も外側もないことに気がついたのです。ただコミュケーションの便宜上「内側」と「外側」という言葉は使います。

      そして、高次の自分がどういうものかわからないのですが、自分の体験では自分はひとつです。そしてそれは分離していないので、分離している自分がないとき、分離している他者がいないと感じられるのです。なので自我はゆっくりほどいてゆくと幻想なんだなぁと腑に落ちたのです。それはとても安心できるあたたかい感じです。

      そしておっしゃるように自分が誰かの笑顔の中に、自分を見つけられるのはとっても素敵なことですね♪ その笑顔そのものが相手であり自分であるんですね♪

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